こんにちは、Erinaです。
小さい頃から、数学や算数が得意で、中学高校でも常に満点に近い点を取れる子供って、どこの学校にもいましたよね。特に男の子に多かったです。
彼らは「数学的センス」がある。
「数学的センス」がないと、理系進学は難しい。
親の私にないんだから、子供のあなたも無理よ。
なんて、聞いたこと、言ったこと、ありませんか?
この記事でも書いたように、私は中学・高校数学では落ちこぼれでした。数学が原因で大学受験も失敗したわけですから、日本では「数学的センスはない」というカテゴリーに入っていたわけです。
しかし、アメリカに留学し、コミカレで数学の楽しみを発見した私は、数学専攻で大学を卒業。”Math Major”というだけで一目置かれることも肌で感じたのです。
今日は、「数学的センス」という伝説はいったい何者なのか?を考えてみたいと思います。
1. 親の影響 (Parents)
私の旦那は、大学(コミカレ)で数学を教えています。彼のお父さん(義父)も生前は、ケンタッキー州のリベラル・アーツスクールと呼ばれる小さな私立大学で数学の教授でした。
この話を聞くと、「じゃあ数学の血筋なんだな。」とか「遺伝だから数学ができるのは当たり前。」と思うかもしれません。
しかし、彼には2人の弟がいますが、2人とも数学とは全く関係ないところで仕事をしていますし、大学でも数学じゃないものを勉強したそうです。同じ遺伝子を受け継いだはずなのに、彼らは数学を選ばなかった。ちなみにお母さん(義母)は、高校でドイツ語教師をしていました。
そんな旦那との間に2人の子供を育ててみて思うことは、「数学的センス」というものを兼ね備えるには、「遺伝」よりも「環境」の大切さでした。
うちの子供たちは2人とも全く違う性格で、全く違う興味を持っていますが、共通しているのは、私たち夫婦が教えることに興味を持つというところ。
私たち夫婦の会話は、数学的なものも多く、どちらかと言えばかなりgeekyなものが多いです。
宇宙ロケットのプロジェクトだとか、数学の英単語とか、ミリタリーに使われる数学とか、傍から見たら、「そんなことしゃべってるの?」と思われるかもしれません。
そもそも、私たちがお互いを好きになったきっかけも、「数学の話ができるから」という部分が大きく、我が家にとって「数学」の重要度がとても高かったわけです。
そんな家に生まれれば、いやがおうにも、数学に触れることが増えます。
親の職場は大学だし、学生たちがいつも質問にやってくる。
scientific calculatorがその辺にぽんっと置いてあると、子供はオモチャだと思う。
理屈っぽい両親に育てられたら、なにごとも理論的でなければ、親を説得できません。
特に教えたわけではないけれど、子ども自身が「パパのやってることを僕もやりたい」「ママたちの会話に入りたい」と思ったら、数学に目をやったり、耳をすますことになるのです。
こう考えたときに、ミュージシャン一家や、スポーツファミリーのことを思い出しました。
親が(特に夫婦で)音楽が好き、スポーツが好きだった場合、子供たちもそれに触れ合う機会が、生まれたときから用意されていて、無理しなくても自然にそこにあるわけです。
そうやって育った子供たちは、やはり小さい頃から周りに比べて成績が良かったり、パフォーマンスできたりします。「天才」なんて呼ばれるかもしれません。
しかしこれも、遺伝よりも環境によるところが大きいと私は思います。
「好きこそものの上手なれ」という言葉が日本には古くからあります。
これは、
「(親の)好きこそ(子供の)ものの上手なれ」
だと思っています。
つまり、親が好きなものは、子供も上手になるということ。
親がパッションを持っているものには、必ず子供もそれに反応します。子供というのは、親が楽しんでいるものを、自分もやりたいと自然に思うものだからです。
逆に言えば、親が嫌々やっていることを、子供が「やりたい!」と思うでしょうか?たぶん思わないですよね。
食べ物だって、「母親の私は人参は嫌いだけど、子供のあなたは食べなさい。」なんて絶対に無理です。笑
そう思ったときに私たち夫婦は、自分たちが楽しめないことを無理に子供にやらせるより、自分たちが楽しめることをやって、子供をそこに巻き込もうと考えるようになりました。
それが「自分たちらしい子育て」であり、彼らは自然と「自分たちの子供」になっていくとわかったからです。
それが結果として数学という学問につながれば、それはそれで良いし、そうじゃなくて、彼らが自分らしさを発揮できる場所を見つけてくれるなら、それもそれで良いと思っています。
2. 理論的な思考力と関連性 (Logical thinking and relevance)
じゃあ、数学夫婦からしか、結局、数学が得意な子供は育たないのか?と言われると、それはノーです。
「好き=仕事」とか「好き=趣味」というわけではありません。
私の思う「数学的センス」とは、あくまで後天的な(=生まれ持ったものではない)、環境の中で育てられる、「物事に関連性をつけて、理論的に考える力」だと思っています。
つまりどういうことかというと。
たとえば、小さい頃に、「レストランで走り回ったら危ない」と教えるときに、「どうして危ないのか」を教えます。
自分の行動が、どういうことを引き起こし、それはどういう結果になりうるか。
だ か ら
「じゃあ走っちゃいけないな」と子供が自分で理解できるところが理論的思考。
次に
その「人の多いところで走っちゃいけない」という教えを持っている子供が、ショッピングモールに行ったときに、「あ、ここも人が多いから走っちゃいけないな」と自分で言い聞かせられたら、それは関連性。
これはあくまで例ですが、「あそこで言われたことを、ここでも応用できる」という思考力は数学ではとても大事になります。
こういうしつけ、というか子供に考えさせる方法は、我が家では常にやってきたし、それが彼らの「自分で考えて行動する」ということにつながっています。
そこに「数字」が入ってきたときに、スムーズに収まった、というのが親から見た感想です。
今月から2年生になる長男は、かけざん表 (multiplication table)を見るのが趣味。アメリカではかけざんは3年生でやりますが、「やりたいならやらせれば?」というのがうちの旦那の感覚。
同じくキンダーになる長女は、4歳のときに「3, 6, 9, 12, 15, 18, 21,….」と3の段を独り言していました。0~9までの数字を正確に書けるようになる前のことです。
どれもこれも、親の私たちが教えたわけではないけれど、子供が興味を持ち、考えることの面白さから発見した、彼らにとってはあくまで「遊び」の一つのようでした。
どうでしょうか?
「センス」とか「才能」という言葉で片付けてきた部分も、こうやって見直してみると、考えさせられることが多いと思いませんか?
特に親として、「子供に何を教えるか?」を考えるとき、まずは自分と向き合うことが大事なように私は思うのです。

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