アメリカの国語、日本の国語 (1)

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こんにちは、Erinaです。

 

この記事で、日米の算数と数学教育の比較について書いてみましたが、今回は、「国語」です。

 

みなさんはズバリ、小中学の9年間+高校の3年間、「国語」の授業で、どんなことをやったかとはっきりと言うことはできるでしょうか?特に小中学の国語で何が得意だったか、それとも苦手だったか、説明できるでしょうか?

 

私がアメリカに来て、国語、つまり “English” の授業を受けた時、そこには、日本の国語の授業とは、かなり明確な違いがあり、それは私の中で「グローバルな人間になるための秘密」として確立されました。おそらく、欧米の学校で、国語の授業を受けたことのある人なら、知っているであろうその秘密について、今日は書いてみたいと思います。

 

まず、「国語」とはなんでしょうか?

 

日本でやるなら「日本語」だし、アメリカでやるなら “English” になります。

同様に、フランスであれば Français でしょうし、メキシコであれば Español でしょう。

 

しかし本来の「国語」とは、言語としての日本語やEnglishの枠を出たものです。(アメリカでは、単純に “English”でなく、”Language Arts”と呼ばれたりしますね)

 

どういうことかというと、「言語」には、この記事でも書いたように、4つの要素があります。

  • 読む
  • 書く
  • 聞く
  • 話す

であり、これらは手と目と耳と口を使う、テクニカルな学習です。

 

現在、日本の国語教育は、これらの読む・書く・聞く・話すがメインになっていて、特に小中学では、漢字の読み書きがとても大きなウェイトを占めます。だから、「小学校の国語で記憶に残っているのは?」と聞かれたら、夏休みの漢字書き取りだとか、漢字テストという答えが多いのではないでしょうか。または古文の文法とか、詩や俳句の暗唱など、あくまでテクニカルなものです。

 

アメリカ、そしておそらく他の欧米諸国の「国語」には、この基本的4つの要素の上に、次のステップがあります。

それが、この記事でも書いた、Ciritical Thinkingというものです。

日本では「批判的思考」と直訳されますが、実際にCiritical Thinkingがどういうものであるかを知っている人は、この直訳にしっくりこない人が多いのではないでしょうか。

 

下の図を見てもらうとわかるのですが、このCiritical Thinkingは、各言語の読む・書く・聞く・話すの4つの要素を基盤とした、次のステップになります。

 

 

読む・書く・聞く・話すというテクニカル (technical) な勉強に比べて、この Critical Thinking というのはコンセプチュアル・概念的 (conceptual) な勉強であり、質が異なります。手と目と耳と口よりも、一人で「う〜ん・・・」とアタマを使って考える時間が多いのが特徴です。

そして、この段階の勉強は、どの言語(日本語、英語、中国語・・・など)でやるかということ自体は問題ではなく、そこが「グローバルに通用する」という理由です。

つまり、日本語だろうと英語だろうと、いったん、Ciritical Thinkingを身につければ、あとは別言語に変換するだけ、ということ。

ちなみに「数学 (Math)」というのも一つの言語であり、0123456789+-=x・・・などというボキャブラリを使って、Critical Thinkingをするという学問です。だから国語と算数・数学は密接な関係というわけです。

 

このCiritical Thinking、日本の国語教育でも、「論理的思考」と呼ばれてカリキュラムに取り込まれてはいるようですが、これが実用的に教室で使われる場面が、アメリカに比べて格段に少ない、というのが、日米の学校を見てきた私の感想です。

日本の国語教育では、読む・書く・聞く・話すの部分に時間がかかりすぎていて、その次のステップにたどり着けない。だから、”Ciritical Thinking” にぴったりと相当する日本語も存在しないし、実際にそれがどういうものであるか説明できる人も少ないわけです。

 

最近では、日本の小学校でも英語を本格的に導入する動きがあるようですが、私が思うに(そしておそらく欧米で国語教育を受けた日本人のほとんどが同意すると思いますが)、日本の国語教育を見直さない限り、英語を小学生から始めても、世界に通用する人間は育てられないでしょう。

なぜかというと、既存の日本の教育理念をもって、英語のカリキュラムを組んだとしても、結局はテクニカルなことばかりで、概念的なものを備えていない人間ばかり出来上がってしまうからです。

 

 

小中高大学に関わらず、アメリカで学校に通ったことのある人は、国語の授業で、日本のそれとは明らかな違いがあることに、少なからず衝撃を受けます。

フィクションとノンフィクションの違いや、リサーチペーパーの書き方を小学校低学年から叩き込まれたアメリカ育ちの子供達は、文章の種類や意見のスタイルを自分のアタマの中で分類・整理し、そこにあるアイディアの本質をつかむことができる。

そして、Critical Thinking に一番直結している、「書く」という練習がアメリカではものすごく多い。(作文教育に関してはこの記事でどうぞ

もともとあれこれと考えることが好きな子は、アメリカで受ける国語 (English) の授業がとても楽しいと感じるし、そうでない子は、かなり手こずるはず。

アメリカの学校にずっと通っている子どもたちを見ていると、そこが鍛えられているなと思うのですが、それは、一言、二言、会話のやりとりをしたら違いがはっきりとわかるのです。

 

 

実際に、アメリカ(カリフォルニア州)と日本(文科省)による、国語教育の指針を比較してみました。

 

アメリカは、カリフォルニア州の Board of Educationがコモン・コアスタンダードをもとに、ランゲージアートをこのブックレットで定義しています。

ブックレットの3ページめには、“A focus on results rather than means” (手段ではなく、結果にフォーカス)とあるように、国語は結果を見越したカリキュラムデザインがされるべき。で、どのような結果かというと、高校卒業時に、大学または就職準備ができている人材のゴールというのは、

 

  • They demonstrate independence.(自立性を示す)
  • They build strong content knowledge.(コンテンツの深い理解)
  • They respond to the varying demands of audience, task, purpose, and discipline.(異なる種類の受け手、業務、目的、規律へのレスポンス)
  • They comprehend as well as critique.(理解と分析)
  • They value evidence.(証拠を重要視する)
  • They use technology and digital media strategically and capably.(テクノロジーを戦略的にうまく使う)
  • They come to understand other perspectives and cultures.(異なる意見や文化を理解する)

 

(ハンドアウトの7ページめ)

とかなり具体的に、かつ明確にあり、これらは確かに、社会に出た時に必要とされるスキルです。

つまり、読む・書く・聞く・話すはあくまで「基盤」であり、その上に以上のようなスキルを身につけなければならない、というのがアメリカでの国語教育の目的です。

 

では、日本はどうかというと。

文科省のウェブサイトに、「国語教育についての基本的な認識」というページがありますので紹介します。

まず、「国語教育は社会全体の課題」であり、学校という範疇を超えますよ、という認識。「論理的思考」という部分は言及されているけれども、それをどうやって教えるかという具体的なガイドラインはありませんね。

読み進めていくとわかるように、やはりフォーカスは「読む」と「書く」であり、それを超えたものは、教室(つまり先生)に委ねられているという印象です。この部分を理解して、国語を教えている日本の先生たちも少数ながらいて、そんなクラスにいる子供達はラッキーだなぁと思います。

 

しかしながらやはり、全体として考えた時に、この Critical Thinking の教育については、日本の公立教育では、明確でユニバーサルなイドラインはない、というのが現状です。

 

 

じゃあ日本人は誰一人としてCritical Thinkingができないか、と言ったらそういうわけではありません。

私は学校教育では教わらなかったかもしれないけれど、個人としてある程度は備わっていたと思います。それはもともと私は論理的に物事を考える性格で、子供の頃から、つじつまが合わないことが嫌いでした。

 

加えて、私がこれまでに出会った(日本で教育を受けた)日本人で、「この人は頭が良いな」(テクニカルではなく、コンセプチュアルな意味で)という人たちに共通していることがあります。

それは、みんな、「読書」が好きなこと。

それも、最近流行りのビジネス新書系・ノウハウ系ではなくて、純文学とか歴史小説とかバイオフラフィーとか、昔からず〜っとず〜っと読まれているものを、好きで(←ここ重要)読んでいる人。本を読むから論理的思考力が身についたのか、論理的だから本を読むのが好きなのか、どちらがスタートなのかはわかりませんが。

 

私が考える「頭の良い人」というのは、

 

  • 会話のキャッチボールがうまい
  • 言葉の選び方が絶妙
  • 発言のタイミングをわきまえている
  • とにかく人の心をつかんで離さない

 

という人。難しい単語をたくさん知っていて駆使できるとか、有名大学を卒業しているとか、そういう意味ではまったくありません。

 

こういう人に会ったら、「この人、すげーな」と老若男女関係なくドキドキするし、「次は何を言ってくれるんだろう?」と思います。それこそ何の言語を話すかに関わらず、この人ともっと話をしたい!と思うわけです。

そしてそういう魅力こそが「真のグローバル人材」だと私は思うのです。

「母語で上手く話せない人間が、外国語で上手く話せるわけがない」と言っていた人がいましたが、まさにそういうことですね。

 

私はこの関連性に気がついた時、特にうちの子供達が学校に行くようになって、「国語」と「算数」の重要性を再確認しました。

理科や社会というのは、(今いる)社会に出て行くための知識として必要かもしれないけれど、やはり国語や算数で培われる人間力は世界のどこでも通用するという事実。

だから、私は自分の子供達がこの2科目において、何をどう学んでいるのかを親として知っておくべきだなと思ったし、足りない部分は、家庭でサポートしようと思ったのです。

 

そんなプロセスを、次回から紹介していきたいと思います

 

 

 

・・・ってか、面白いのかなぁ、これ。

 

 

 

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。 日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。 アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

7 Responses to “アメリカの国語、日本の国語 (1)”

  1. avatar

    エイコ

    めちゃくちゃ面白いです!

    ちなみに、私は子供の頃から物事をロジカルに考えたりするのはものすごく苦手で、感覚や矛盾の中にいるのが心地よいタイプでした。
    日本の美大を卒業してからアメリカの美術カレッジに行ったのですが、課題を深く考察して意味を読み解き、自分なりの解釈をデザインで組み立てる、みたいな工程をたくさん経験し、今はデザインに関わらず、物事を多角的に考える癖がついたように思います。まだまだですが。
    つまり、後天的にも身につく場合もあるかもしれません。

    私も我が子にそういった教育をしたいと思っています。
    しかし、長男はADHDと診断されているので、かなり難しいのですが…。

    続き、待ってます。

  2. avatar

    Erina

    エイコさん、ありがとうございます。

    前の記事にも書きましたが、Critical Thinkingじたいは、(私が思うに)自転車に乗るとか、クロールで泳ぐのと同じで、一度、体が覚えたら忘れないものだと思います。だからもちろん、後天的に身につけることが可能です。私も性格的に、身につけるのが楽だった、というだけで、フォーマルなものを最初から知っていたわけではないので・・・。
    エイコさんはアーティストなんですね!
    私は中学3年間、美術3でしたが(笑)、うちの娘がアート大好きで、彼女のおかげでまた新しい世界に入り込ませてもらってます。
    アートが苦手な人、数学が苦手な人、から見たら、それらをできる人って、「お〜才能あるなぁ!(だから才能のない自分はできない)」って先天的なものだと思っちゃいますけど、そうじゃないんですよね。
    何事も、バックアップしてくれる事実があって、それを分析する作業(Critical Thinking)をするから人の心を動かせるのであって。
    面白いなぁ。

    あ、続きは今日の記事でどうぞ!

  3. avatar

    エイコ

    いえいえ、アーティストなんて素敵なものではなく、確かにそもそもはファインアート志向だったのですが、デザイナーからのスタートで、今はメーカーのR&Dでいくつかの部門を持つという、若い頃に描いていたイメージとは異なるキャリアプランを歩んできました。
    しかし、畑違いの分野に首を突っ込んできたおかげでいろんな経験が出来たので、今は良かったとおもっているんですけどね。

  4. avatar

    Erina

    そうなんですね。
    R&Dか〜、かっこいいなぁ。
    R&Dって、いろいろなブレインが集まったというイメージなので、アート出身の人がいるというのは納得です。
    でも確かに、若い頃に描いていた「これをやりたい」というのが、良い感じで社会で揉まれて、「あら、こんなこともやることになったわ」っていうのは楽しいですよね。実践的だし。

  5. avatar

    Lanai97673

    アメリカに住み、子供の日本語教育をどうしていくか迷っている中でこちのブログにたどり着きました。
    我が家は家庭内が日本語、私も日本語しか話せない状況なので、必然的に子供も日本語を学んでいってもらわないと困るのですが…

    G1になり、授業や宿題で読ませる、書かせるものが増え(というか、日本の同年齢はこんなにやっているんだろうか?と思いました)、家庭内でも学校のサポートをしなくちゃ、と思っていました。こんな感じの要約も学校でやってきていましたが、さっぱり考え方がわからなかったので、すごく参考になりました!
    家庭内で読ませている本、日本語の本でも挑戦させてみようと思います。(というか、私自身が一文ずつでまとめれるか、練習しなくては!と思いました)

  6. avatar

    Lanai96763

    あ、ごめんなさい。次の記事に対してのコメントをしようとして、間違えてここに書いてしまいました…

  7. avatar

    Erina

    Lanai97673さん、こんにちは!
    コメントありがとうございます。

    本当、こっちの学校はとにかくよく書かされますね。それも自分の意見や考えを形にする練習なので、とても早い時期から始まるという印象です。
    文章自体がつたなくても、スペルが間違っていても、とにかくハッピーなのか、そうじゃないのか、何が楽しかったのか、どう思ったのか、そういう自己表現をするトレーニングですよね。
    お互いに頑張りましょう!

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